大和物語147段「生田川」その3

大和物語147段「生田川」その3

 これほどまでに場面と時間軸を移し替え、詠み手にとっての現在である歌会からいつしか伝説の物語の登場人物の和歌へとフォーカスを戻していくような作品は、時代を超越して前衛的で、そのためはじめて読んだ印象では、いびつなもののようにすら思われるくらいですが、読み返すほどにその魅力には気づかされ、かけがえのないもののように感じられるから傑作です。

 この最後の部分は、時間軸としては前半の説話部分に続くもので、「男の墓ども今もあなる」から、一方の男は武具を埋葬して、もう一方はそうせずにと、明確に流れが継続します。後半部分で「かの塚の名をばをとめ塚とぞいひける」とあるのは、あるいは、本来のプロットは歌会風の中間部がなかったことを暗示するものかも知れませんが、同時にこのような歌会が実際にあって、そこで詠まれた和歌をピックアップして、再構成して「生田川」の説話に統合できるということが、執筆の出発点だったのかも知れません。(もっとも、他に資料が無ければ、邪推の域を超えるものではありませんが。)

 いずれ前半部と後半部は、それぞれ別の説話かと思われるくらい、物語のトーンが異なっていて、もし和歌による中間部が無いと、物語として破綻しそうであるとは言えそうです。

 それを、時系列的には一番最後にあたる、旅の男から聞いた物語を絵にして、それをもとに和歌を詠み合うという、聞き手にとっての現在を中間部において、その和歌の推移によって、魅力的な、かつアバンギャルドな場面転換を行うと同時に、「大和物語」では常に指標になりますが、和歌そのものの力によって、この男女の心理状態を掘り下げて、全体の物語を魅力的なものに移し替えているようです。

 ただその和歌部分の効果は、黙読で読み流すような、乱暴な大衆小説読みをする限り、永遠に悟ることは不可能ですが、けれども内容を咀嚼しながら、実際に口に出して読むならば、別に古文の堪能ではなくても、次第に悟れるくらいのものには違いありませんから……

現代語訳

 さて、この和歌を詠んだ男は、呉竹(くれたけ)の節々の長いものを切って(柵にして)、狩衣(かりぎぬ)[もと狩用の着物で普段着くらい]、はかま、烏帽子(えぼし)、帯を入れ、また弓、背負の矢入れ、太刀(たち)などを入れて、埋葬を行った。もう一人の男は、おろそかな所のある親だったのだろうか、そのようなものは入れずに埋葬した。これらの塚の名称を、今では「乙女塚(おとめづか)」と呼ぶのだった。

 ある旅人が、この塚のそばに宿を借りた時、人が争う音がするので、いぶかしく思って、従者に見に行かせたけれど、「争うような様子はありません」と帰ってくるので、不思議だと思いながら眠ってしまう。すると夢であろうか、血にまみれた男が、目の前にひざまずいて、

「わたしは、仇(かたき)に責められて、劣勢に立たされています。腰に付けているもの[つまり太刀]を、しばらくお貸し願いたい。憎らしいものへの復讐をしたいものですから。」

と言うので、恐ろしいとは思ったが貸してやった。
 目が覚めてから、夢だったろうかとも思ったが、太刀は実際に貸してやったらしくそこにない。ほどなく聞いていると、非常に、先ほどのように、争う音がしてくるのだった。

 しばらくあって、先ほどの男が来て、大変うれしそうに、

「あなたのおかげで、年来憎んでいた者を撃ち殺すことが出来ました。これからは末永く、あなたの守護霊としてお仕えしましょう」

といって、物語のはじめから語り出すのだった。

 とても気味が悪いことだとは思いながらも、めずらしい話なのでたずね聞くうちに、いつしか夜が明ければ、誰もいなくなっていた。朝になってから見に行くと、例の塚のもとには血が流れているのだった。また貸した太刀にも、血が付いているのだった。

 気味が悪く耳を背けたくなるような話ではあるが、以上、この旅人が話した通りのことである。